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プロフィール

初めまして!

旅行大好き、ブログ管理人のolly(オリー)と申します。

同い年の旦那さんと幼稚園の息子2人と、オスのトラ猫・こむぎと大阪の田舎町で暮らしています。

突然ですが、私は数年前、産前・産後うつを経験し、

1年半ほど、なんとも言えない孤独感に悩んだ時期がありました。

そんな私が今では在宅ワークで月収20万円を超え、好きな時に家族と旅行へ行ったり、

自分で働く時間を決めて、場所と時間に縛られない働き方をして暮らしています。

若い頃はとにかく自分に自信もなく、失敗続きの日々もありました。

それでも、今は少しずつ自分に自信を持ち、過去の後悔も自分の成長の証だ!と捉えることで

楽に生きられるようになりました。

自宅にいながら収入を得たり、主婦の方に、ほんの少しでもお役にたてたらと思い

ブログを開設しました。ぜひ交流できたら嬉しいです!

それでは、どういう経緯でこんな生き方にたどり着いたのか、

自分でも振り返るのは恥ずかしかったりしますが、興味がございましたらお付き合いください。

幼少期

大阪府の山、海が近いところに生まれ育ちました。

家族構成はサラリーマンの父、服飾デザイナーの母、

そして母の両親、母の叔母、3歳年下の妹。

親戚もたくさん半径100メートル以内の近所に住んでいたので、

忙しい両親に代わって、町内のおじいちゃんおばあちゃんたちと過ごしてきました。

秋にはだんじり祭りがあって、田舎ながら老若男女活気のある地域で子供時代を過ごしたことで

人と集まって食事をしたり、みんなで盛り上がる事が大好きな性格が出来上がったんだろうなと思います。

また、休日には父が釣りに連れて行ってくれたり、

車であちこちお出かけをする家族だったので

旅行は私にとって今でも無くてはならない日常の癒しです。

家の外では活発に過ごしてきましたが、

父のしつけが厳しすぎて、父が帰ってくると緊張している子供でした。

幼稚園の年中にもなると九九の暗記がスタートし、端の持ち方、言葉遣い、、

今思えば社会に出ても困らないように、との父の思いも理解できなくはないですが、

3つ下の妹にはそんなに厳しくないのに、何故自分だけ!?という気持ちがありました。

あまりに怒られる毎日だったので、怒らせないようにしよう、と徐々に良い子を演じたり

出来ない自分を否定する子供だったなぁと思います。

ちなみに子供の頃の夢は妹と漫画家になる事。

りぼんやなかよしはもちろん、特に少年ジャンプが大好きでした。

空想好きで、ひっそりとノートに宇宙人キャラが地球で人助けをするギャグ漫画を描いたりしていました。

突然の母の報告!両親の離婚がきっかけで自由に

ある夜突然、

「パパ、もう明日から帰ってこーへんで!」

と、お風呂で母から言われびっくりしました。

「え!ほんまに!?やった〜!」

離婚というと、普通は落ち込んだり、不安定になったり、

世間では暗いイメージがあるかも知れませんが

自立しているものの天然キャラで破天荒な母のあっけらかんとした報告と

もう怖い父が帰ってこないという事で、当時10歳の私は心底安心したのを覚えています。

祖父母たちとも同居をしていましたし、近所には親戚がたくさんいたので寂しくなかったんです。

(のちに反動が出てくるわけですが・・)

その頃、阪神・淡路大震災も経験し、

幸い被害は全くありませんでしたが、テレビを見る度に自分よりも大変な人はたくさんいると感じました。

優しい祖父母や天然母を始め、楽しいも悲しいも共有できる妹、いとこたちの存在で

そこまで暗くならず子供時代を過ごせました。

幼少期の反動が来た大学時代・・

中学、高校は女子校へ進み、

そこでも天真爛漫な友達たちと人生最高に伸び伸びと過ごしたまま、大学へ。

小学生以来の共学、新しくストリートダンスも習い始め、

人付き合いも活動の場も一気に広がっていきました。

特に大学時代、ダンスとの出会いは自分が初めて熱中するものに出会えた!という感覚で

大学の授業を放ったらかして、朝まで練習に明け暮れました。

もともと、仲間と集まることも好きな性格だし、

何より、子供の頃から抑えていた自分を自由に表現できるダンスにハマってしまい、

先生に出発1週間前に誘われて、即答で本場ロサンゼルスにレッスンを受けに行ったこともあります。

本当に着の身着のまま、財布とパスポートと少しの荷物だけで関西空港へいきました。

そこで今度はアメリカすごっ!となってしまった自分は

バイト代や成人式の振袖のための費用も全て渡航費用につぎ込み

大学の4年間で5回、アメリカに行きました。

もちろん、学業の方は成績ガタガタ・・・

自分をコントロールできず、何かに熱中すると他が疎かになり、時間を忘れてしまう状態が続きました。

睡眠不足が原因で事故に遭いかけたり、夜も帰らない生活が続き

母との口喧嘩も日に日にオーバーヒートしていきました。

今思い返すと、幼少期に寂しかった反動が来てしまったんだろうなと思います。

就職、転職、妊娠〜人生の安定〜

その後、初めて就職した広告会社で営業担当に配属されました。

営業とは何か勉強もせずに、飛び込み営業を続け、また否定される毎日。

営業成績は当然伸びず、いつしか同期も次々と辞めてしまい、

自分も早期退職者募集のタイミングで若手なのに手をあげてしまいました。

その後、転職したのが空港関係の仕事。

やっぱり空港は大好きな場所でした。

旅行へ行く人を見るだけでワクワクしてしまいます。

空港では通関の仕事を7年続け、

今の旦那さんにも出会い、最高の上司、同僚、生涯の友人にも恵まれました。

もう失敗したくない!という気持ちで、

本業にしっかり集中し、交通ルールもちゃんと守り(当たり前!)、

ダンスはずっと続けていましたが、時間を決めて

できる範囲で楽しめるようにもなり、

ようやく人として当たり前のことを当たり前にできるようになった!

やっと人生が安定した!と思えるようになっている頃でした。

やっと妊娠!楽しかったマタニティー生活も束の間。。出産1ヶ月前に産前うつに!

6年の妊活期間を経て、やっと長男を授かったのですが、

ちょうどドラマのコウノトリを見ていた事がきっかけで

ある日突然、過去の自分が猛烈に嫌になり

恐怖、不安、後悔、自己嫌悪の状態になってしまったのです。

「こんな自分が良いお母さんになれるのかな・・」

いつもだったら旅行へ行って気分転換できれば吹っ切れるのですが、

何をしていてもどこにいても、このモヤモヤは離れませんでした。

今思えば、ホルモンの仕業だったと思えるのですが、

当時は真っ暗で出口のないトンネルの中にいる状況

誰かの相談しても分かってもらえてないような気がして、かなり辛かったです。

過去の自分の失敗や過ち、忘れていた嫌な記憶が全部がよみがえってきて、

私このままどうなるんだろう、、と本気で死にたくなる日もありました。

出口が見えた!在宅アパレルバイヤーとの出会い

出産後もうつは続きました。

子供を育てながら、

このまま社会と離れて、また孤独になっていく、、という事が怖かった私は

なんとか、うつ状態の気を紛らわせようと在宅ワークの仕事を探し始めました。

気持ちはモヤモヤとしたままでしたが、

当時、「世界中から仕入れをして、自分だけのセレクトショップを持ちませんか」という見出しにひかれ、

とある広告をポチッとしました。

子育て中で旅行へ行けない自分には、「世界」という言葉が自分を助けてくれる光に見えて、

いつもだったら「絶対怪しいな・・」と引き返すところを

そのままその光に向かって、進んでみることにしました。

それが私と在宅アパレルバイヤーとの出会いです。

BUYMAとは、

世界中のブランド品が買えるというショッピングサイトの事なのですが

そこでバイヤーとしてお店を持ち、ブランド品を仕入れ、販売をして利益を得る

という事が完全在宅で完結するお仕事です。

実は在宅アパレルバイヤーに加盟する前に、一人でBUYMAをやろうとした時期もありましたが、

仕入先を開拓できず、ネット上のいろんな情報で迷ってしまい、

何をしたら良いのか分からず行動が止まってしまいました。

在宅アパレルバイヤーでは

ノウハウや、目標設定、目標達成のための大事なステップを、

実際にBUYMAで収益を上げた講師陣が丁寧にレクチャーしてくれます。

月に1回の面談や、毎週開催される勉強を通じて

今の自分の立ち位置ややるべき事、改善する事を学べる環境が

良いなと思いました。

しかもBUYMAが無在庫販売で、在庫を持たなくて良いことと、

完全在宅で出来るという点も子育て中の私にはピッタリな条件だったのです。

無知識で何の取り柄もない自分でも、コツコツ作業を続ける事で

4ヶ月目には4万円の利益を達成する事ができ、

ここで初めて、自分に少しずつ自信がついたような気がします。

当たり前のことを当たり前に出来るようになった時の感覚と似ています。

BUYMAの活動も、全てが順調というわけではありませんが、

最高月収で20万円を達成できたのも、ノウハウだけではなく

一緒に頑張れる同じ境遇の仲間がいたからなんです。

みんなライバルでもありますが、時には同じ悩みや苦労を話し合える大切な存在です。

大好きな海外と繋がれる仕事で

同じ話題で盛り上がれる仲間ができる。

もしそんな環境を探している方がいたら、

こちらのサイトを覗いてみてください↓↓

両親の仕事を、生涯の仕事にした

私はなんだかんだ、

サラリーマンの父(生活雑貨のバイヤー)と

服飾デザイナーの母の影響を受けまくりだったと気づきました。

厳しい父は大嫌いでしたし、

仕事命の母には寂しい思いもさせられましたが、

両親が仕事を一生懸命楽しんでいる姿を見れた事が

結局今の自分の興味に繋がり、仕事になってしまったのです。

私も自分の子供たちには「ママみたいに、早く大人になって働いてみたいな〜」と思ってもらえるように

仕事も苦労も全力で楽しめる、生き生きしたママでいたいと思います。